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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)6520号 判決

原告

大澤登美江

大澤昌喜

右原告両名訴訟代理人

井上恵文

外四名

被告

右代表者法務大臣

古井喜実

右指定代理人

成田信子

外五名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一A  主位的請求の趣旨

1 被告は、原告大澤登美江に対し金一〇二九万七八八六円及び内金九三六万一七一五円に対する昭和四〇年九月五日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに原告大澤昌喜に対し金一五〇九万五七七三円及び内金一三七二万三四三〇円に対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員の各支払をせよ。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

一B  右に対する答弁

主文同旨の判決又は担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求める。

二A  予備的請求の趣旨(その一)

1 被告は、原告大沢登美江に対し金九八九万七八八六円及び内金九三六万一七一五円に対する昭和四〇年九月四日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに原告大澤昌喜に対し金一四七九万五七七二円及び内金一三七二万三四三〇円に対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員の各支払をせよ。

2 訴訟費用は各自の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二B  右に対する答弁

一Bと同じ。

三A  予備的請求の趣旨(その二)

1 被告は、原告大澤登美江に対し金七五四万七八八六円及び内金六八六万一七一五円に対する昭和四〇年九月四日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに原告大澤昌喜に対し金一五〇九万五七七三円及び内金一三七二万三四三〇円に対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員の各支払をせよ。

2 訴訟費用は各自の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

三B  右に対する答弁

一Bと同じ。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告大澤登美江(以下「原告登美江」という。)は亡大澤喜代志(以下「亡大澤」という。)の妻であり、原告大沢昌喜(以下「原告昌喜」という。)は右両名の子である。亡大澤は、昭和二五年八月二八日警察予備隊に入隊し(警察予備隊は同二七年一〇月一五日保安隊と、保安隊は同二九年七月一日陸上自衛隊とそれぞれ改称した。)。同三三年三月一七日陸上自衛隊を依願退職したが、同四〇年九月四日慢性骨髄性白血病急性転化のため死亡した。

2  亡大澤の警察予備隊、保安隊、陸上自衛隊における職務の概要は次のとおりである。

(一) 昭和二五年九月一日から同二七年一月二四日まで、舞鶴部隊、海田市駐とん部隊に順次所属し、介助者としてX線業務に従事した。なお同二六年には白血球減少症の診断を受け、約六か月間X線業務から離れている。

(二) 同二七年一月二五日から同二八年一〇月九日まで、水島、信太山、水島各駐とん部隊に順次所属し、X線係としての職務にあつた。

(三) 同二八年一〇月一〇日から同二九年一〇月一四日まで、出雲駐とん部隊に所属し、X線係助手の業務に従事した。なお、この間の同二九年一月一〇日から三月三〇日まで伊丹駐とん地業務隊においてX線技術講習を受けた。

(四) 同二九年一〇月一五日から同三一年一月一〇日まで金沢駐とん部隊に所属し、X線係としてX線業務に従事した。なお同三〇年六月から約六か月間は白血球減少症のためX線業務から離れている。

(五) 同三一年一月一一日から同三三年三月一六日まで岐阜駐とん部隊に所属し、X線係としてX線業務に従事した。なお同三一年一月二三日から同三三年三月一六日までの間は白血球減少症のためX線業務から離れており、同三一年一一月、悪性貧血及び白血球減少症の、同三二年一〇月、白血球減少症の各診断を受け、同三一年一一月から同三二年一二月まで白血球減少症の治療を受けた。

(六) 同三三年三月一七日、悪性貧血、全身倦怠、食欲不振などX線障害に伴う身体失調のため、自衛隊を依願退職した。

3  被告は、亡大澤に対し、同人が公務であるX線取扱業務を遂行する際、相当のX線防護設備・器具を設置し、同人にX線障害と思われる症状が生じたときには同人の被曝線量を測定し、さらにこれによつて同人がX線障害を受けたものと認められたときには同人の担当職務を変更したうえで十分な治療を行い、もつて同人の生活及び健康をX線被曝の危険から保護すべき安全配慮義務を負つていたものである。

しかるに被告は、十分なX線防護設備を設置しないまま、亡大澤を第2項記載のとおりX線取扱業務に従事させ、その間昭和二六年、同三〇年六月、同三一年一一月、同三二年一〇月、いずれも自衛隊内における医師の診断で、亡大澤にX線障害に起因する白血球減少症等の身体失調が生じていることが判明しているにもかかわらず、同人の担当職務を変更せず、十分な治療を行うこともないままこれを放置したため、同人は、人体許容量をはるかに上回る多量のX線を被曝し、これに起因する慢性骨髄性白血病急性転化によつて死亡するに至つたのである。

したがつて被告は右安全配慮義務違背に基づく損害を賠償すべき義務を負う。

4  被告の右安全配慮義務違背によつて生じた損害は次のとおりである。

(一) 逸失利益

(1) 亡大澤は死亡時満三九歳であり、被告の右安全配慮義務違背によつて死亡しなければ、満六七歳まで就労可能であつたところ、その間昭和四八年度賃金センサス第一巻第二表(全産業全男子労働者旧中・新高卒の平均給与額)による収入を得ることができたはずで、その額から中間利息をライプニツツ方式により控除し、さらに亡大澤の生活費として三割を控除すると、亡大澤の死亡による得べかりし利益の喪失額は、別紙計算表(一)記載のとおり金一六〇八万五一四六円である。

(2) 右損害賠償請求権について、法定相続分に応じ、原告登美江はその三分の一を、同昌喜はその三分の二を相続によつて取得した。

(二)慰藉料

(1) 原告らが被告の前記安全配慮義務違背により亡大澤を失つたことによつて被つた精神的苦痛を慰藉するには、原告登美江につき金四〇〇万円、同昌喜につき金三〇〇万円をもつて相当とする。

(2) 仮に債務不履行に基づいては原告ら固有の慰藉料請求権が認められないとするならば、原告らが相続した亡大澤本人の慰藉料を請求する。すなわち、亡大澤は被告の前記安全配慮義務違背によりその死の直前において重大な精神的肉体的打撃を受けたのであつて、これにより被つた精神的苦痛を慰藉するには金四五〇万円が相当であるところ、そのうち原告登美江は金一五〇万円を、同昌喜は金三〇〇万円を相続によつて取得した。

(三) 弁護士費用

(1) 本件訴訟の弁護士費用は損害賠償金の一割が相当であるから、原告登美江につき金九三万六一七一円、同昌喜につき金一三七万二三四三円となるが、右費用は被告の前記安全配慮義務違背によつて生じた損害というべきである。

(2) 仮に右主張が認められないとしても、本件訴訟に要した弁護士費用は、亡大澤が被告の前記安全配慮義務違背によつて被つた損害というべきであり、その額は前記逸失利益金一六〇八万五一四六円の一割をもつて相当とする。原告登美江はその三分の一を同昌喜はその三分の二を相続によつて取得した。

よつて原告らは被告に対し、別紙計算表(二)ないし(四)記載のとおり、前記安全配慮義務違背による損害金及び亡大澤の死亡した日又はその翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金として、主位的請求の趣旨、予備的請求の趣旨(その一、二)各記載の金員の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因第1項の事実は認める。同第2項(一)の事実のうち、亡大澤が舞鶴部隊、海田市駐とん部隊に順次所属したことは認め、その余の事実は否認する。(二)の事実は認める。(三)の事実のうち亡大澤が昭和二八年一〇月一〇日から同二九年一〇月一四日まで、出雲駐とん部隊に所属していたことは認める。この間亡大澤はレントゲン及び内科係を命じられているが、同二八年一〇月一〇日から同二九年一〇月五日まで車両係を兼務していた。なお、亡大澤が出雲駐とん部隊所属中レントゲン関係の教育を受けたことはある。(四)の事実のうち亡大澤が同二九年一〇月一五日から同三一年一月一〇日まで金沢駐とん部隊に所属したことは認める。亡大澤は右駐とん部隊所属中、業務隊衛生科X線係を兼務したことがあるが、その期間は同二九年一〇月二七日から同三〇年四月二五日までである。亡大澤が右を除く期間もX線業務に従事したこと及び同人が昭和三〇年六月から約六か月間白血球減少症のためX線業務から離れたことは否認する。(五)の事実のうち亡大澤が同三一年一月一一日から同三三年三月一六日まで岐阜駐とん部隊に所属したこと、同三一年一一月、悪性貧血及び白血球減少症の、同三二年一〇月、白血球減少症の各診断を受け、右の間白血球減少症の治療を受けたことは認め、同三一年一月一一日から同年三月ころまでの間については同人がX線業務に従事していたことは否認する。亡大澤は、同三一年一月一一日付で第七次陸曹教育(陸曹に対する一般教育であり、X線等の教育は行わない。)のため、第三陸曹教育隊に派遣勤務を命じられ、同月二三日、白血球減少症兼外傷性綿維筋炎のため、第三陸曹教育隊から原隊(第一〇一固定通信大隊)への復帰を命じられている。同人は、同月二五日、衛生補給陸曹兼レントゲン係を命じられたが、昭和三一年三月ころまでX線取扱業務に従事していない。(六)の事実のうち亡大澤が同三三年三月一七日自衛隊を依願退職したこと、当時同人が全身倦怠、食欲不振などの症状を訴えていたことは認め、その余の事実は否認する。亡大澤は、右退職後約一年間慢性肝炎のための継続療養を行つたが、同三九年一〇月初旬に至るまで白血球減少症ないし慢性骨髄性白血病として診断され、治療を受けたことはなかつた。したがつて同人の退職理由がX線障害に伴う身体失調であつたということはできないのである。同第3項の事実は否認し、被告が原告ら主張の安全配慮義務違背に基づく損害賠償義務を負う旨の主張は争う。同第4項の損害の発生、損害額についての主張は争う。

三  抗弁

仮に亡大澤に対するX線被曝からの安全配慮につき被告に欠けるところがあつたとしても、右安全配慮義務違背による損害賠償請求権は、同人がX線の業務を離脱した日から一〇年を経過した日である昭和四三年三月一五日又は同人が陸上自衛隊を退職した日から一〇年を経過した日である同月一七日をもつて時効により消滅した。

四  抗弁に対する認否

争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求の原因第1項の事実、同第2項(一)の事実のうち亡大澤が舞鶴部隊、海田市駐とん部隊に順次所属したこと、(二)の事実、(三)の事実のうち亡大澤が昭和二八年一〇月一〇日から同二九年一〇月一四日まで出雲駐とん部隊に所属していたこと、同人が右の間X線の業務に従事し、その関係の教育を受けたこと、(四)の事実のうち亡大澤が同二九年一〇月一五日から同三一年一月一〇日まで金沢駐とん部隊に所属したこと、同人が同二九年一〇月二七日から同三〇年四月二五日までX線業務に従事したこと、(五)の事実のうち亡大澤が同三一年一月一一日から同三三年三月一六日まで岐阜駐とん部隊に所属したこと、同人が同三一年一一月悪性貧血及び白血球減少症の、同三二年一〇月白血球減少症の各診断を受け、右の間白血球減少症の治療を受けたこと、(六)の事実のうち亡大澤が同三三年三月一七日自衛隊を依願退職したこと、当時同人が全身倦怠、食欲不振などの症状を訴えていたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二被告国は、仮に亡大澤に対するX線被曝からの安全配慮につき欠けるところがあつたとしても、右安全配慮義務違背による損害賠償請求権は、同人がX線の業務を離脱した日から一〇年を経過した日である昭和四三年三月一五日又は同人が陸上自衛隊を退職した日から一〇年を経過した日である同月一七日をもつて時効により消滅した旨抗争するので、まずこの点について判断する。

国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負つているのであるが、右義務の内容およびその履行期は公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる具体的状況によつて信義則上定められるべきものであり、これを本件にあてはめてみると、被告国は亡大澤に対し、亡大澤が公務であるX線取扱業務を遂行するに際し、X線被曝による亡大澤の生命・身体に対する危険防止に必要な防護措置を講じ、仮に、被曝したときには担当職務を変更し、充分な治療によつて亡大澤の生命・身体への危険を避けるべき内容の義務を負う。そして、国が右義務を怠つて公務員に損害を与えた場合には、国は公務員に対し損害賠償義務を負うが、右義務は本来の債務の内容が変更されたに止まり、その債務の同一性には変わりはないからこれに対応する公務員の国に対する損害賠償債権も民法一六六条、第一六七条一項により本来の安全配慮債務の履行を請求しうるときから進行を始め、一〇年の経過によつて完了するものと解すべきである。ところで、右国の安全配慮義務は在職公務員に対するものであつて、公務員たる地位を失つた者に対してまで負担するものではなく、当該公務員の退職後はかかる義務の発生する余地はない。このように、被告国の亡大澤に対する本件安全配慮義務も、亡大澤が陸上自衛隊を退職した昭和三三年三月一七日以前に負担すべきものであり、また、亡大澤も被告国に対し退職以前において右義務に対応する安全配慮請求権を有し、かつ、行使しえたものである。したがつて、亡大澤の被告国に対する本件安全配慮請求権は、遅くとも右退職日までは存在し、行使しえたのであるから、それから一〇年を経過した同四三年三月一七日をもつて時効により消滅したとするべきである(亡大澤が昭和三三年三月一七日に陸上自衛隊を退職したことは当事者間に争いがない)。

そして被告は右時効を援用する旨を明らかにしている。

そうすると、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、すべて理由なきに帰するものといわなければならない。

三叙上の次第であつて、原告らの本件主位的及び予備的(その一、二)各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(山口和男 山口忍 高世三郎)

計算表〈省略〉

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